経歴
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学生時代 合同会社 Team IshiHaraを設立。
Webサイト開発保守、SaaS運用支援の受託事業を展開。
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2022
Faber Companyに長期インターンとしてジョインテックリードチームにて、社内の開発環境の改善に取り組む。
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2023
1年目 Faber Companyに入社10月より開発運用チームに配属。「ミエルカSEO」「ミエルカヒートマップ」のセキュリティ・ユーザビリティ向上を中心に、システム横断的な改修を実施。
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2025~
3年目~ Faber Vietnam Co., Ltd.で勤務現地メンバーの技術指導やインフラ設計のレビュー、技術的負債の返済イベント企画、現地でのエンジニア採用などを行う。
和装に感じる日本人の精神性に共鳴
和装のたたずまいが素敵ですね。
ありがとうございます。大学生時代に登壇したとあるセミナーに、着物で登壇している女性の方がいました。もともと着物に興味があったので話しかけたら、あれよあれよという間にお店に連れて行かれて。気づけば着物を買っていて、そのままどっぷりハマっていきました(笑)。
それ以来、自社でイベントを開催したり、他社や他団体の技術イベントに登壇したりする時には、自分のアイデンティティとして着物を着るようになりました。
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和装に心惹かれる理由は何ですか?
私が和装を気に入っているのは、日本人ならではの「道具」に対する哲学や精神性を感じられる点にあります。食事の道具を想像すると分かりやすいんですが、欧米ではスプーンやフォーク、ナイフなど用途に応じてさまざまな道具を使い分けます。
一方、日本は箸だけ。使い慣れるのに練習が必要ですが、上達すれば何でもこれ一つで食事が可能になりますよね。和装も同様で着付けの練習は必要ですが、慣れれば体型が変わっても簡単に着こなしを調整しながら、一生着続けることができます。
この考え方は、ソフトウェア開発にも通じると思うのです。欧米は用途に応じていくつものサービスを使い分けます。でも日本には、その考え方は合わないんじゃないかと。練習は必要だけど、慣れれば何にでも応用できて長く使い続けられる。そんなサービスを作りたいなと、日々考えています。
ただ、練習が苦痛になってはサービスを使ってもらえません。この部分をどれだけ楽しめるようにするかが、エンジニアの腕の見せ所だと思っています。
エンジニアとしての原風景は父親
なぜエンジニアの道を進もうと思ったのですか?
エンジニアだった父の背中を見て育ったっていうのが大きいです。3歳の頃からコンピューターに触れる環境があり、小学校5年生頃には自作のゲームを作るためにプログラミングを学び始めました。自分の作ったゲームを友だちに遊んでもらい、楽しんでもらう。それがエンジニアとして人を喜ばせる原体験だと思います。その後、大学では工学部で半導体工学を専攻しました。この分野は、80年代に日本が覇権を握っていたこともあり、国内でさまざまなノウハウを学べると考えたのです。また、在学中には同郷のフリーランスと二人で会社を立ち上げました。私はWebが得意、友人は映像制作やデザインが得意ということで、協力してサイト制作支援や自社プロダクトの開発、販売などを手がけました。
Faber Companyとはどのように出会ったのですか?
スカウトサイトに登録した僕の経歴を見たFaber Companyの先輩が、面白そうだとオファーを出してくれたのがきっかけです。オファーをくれたことは、率直に嬉しかったです。当時、私自身はデジタルマーケティングやコンテンツSEOについて詳しく知らず、これらの分野が企業のマーケティング活動に結びつくという認識もありませんでした。だからこそ、本気でSEOを通じてお客様を支援しているFaber Companyの存在を知り、興味が湧きました。
その後、1年ほどかけて面談を重ねた後、インターンとしてFaber Companyにジョインしました。だいぶ時間がかかっていますよね(笑)。もともとは別の分野に進もうと思っていたので、まずはカジュアル面談からということでやり取りが始まりました。そこで社内のエンジニアと話したのですが、技術の話をするのがとても楽しくて、「ここで働くのは楽しそう」と思い、入社を決めたのです。
15分を4秒に。インターン時代に取り組んだシステム改修
入社後はどのような仕事に携わってきましたか?
はじめは、内定者インターンの形でテックリードチームというチームに加わりました。ここではプロダクトのメインの開発ラインとは別に、プロダクトの開発環境を良くするための実験的な機能を試行錯誤しました。1年間働いた後、2023年4月に入社後も引き続きテックリードチームに所属して、開発環境の改善に取り組みました。
テックリードチームで取り組んだ仕事の中で、印象的なものはありますか?
インターン時代に取り組んだ、カスタマーサクセス(CS)の管理画面の改善はよく覚えています。インターン時代、テックリードチームで取り組んでほしい課題がリストとして渡されていました。そのうちの一つに取り組んで、改善内容をサポートチームのメンバーに試してもらいました。
その時、オンラインミーティングでミエルカSEOの管理画面を操作している様子を見て、「どうも読み込みが遅いな」と違和感を覚えました。実際に調べたところ、とある画面の読み込みに想定以上の時間がかかっていたのです。私の開発環境で、同様のトラブルは起きませんでした。本番環境でのみ画面の読み込みが遅くなる原因を調べた結果、画面を表示するときに数万人分の登録ユーザーのデータをすべて読みこんでいたのです。
その画面に表示される登録ユーザーは、一度に15件程度でした。そこで、必要な件数のデータだけを読み込むように改善した結果、読み込み時間を大幅に短縮できました。
このタスクは、私がやるべきリストの中にはなかったものです。それでも、メンターに「この機能を改善したいです」と伝えたところ、快く受け入れてくれました。こうした柔軟性と自由度の高さは、Faber Companyで働く一つの醍醐味だと思います。
ベトナムチームとの仕事で生まれた新たなモチベーション
現在はベトナムの子会社で働いているのですよね。
はい。入社後しばらくして、当社の海外子会社であるFaber Vietnam Co., Ltd.のチームと働く機会が増えていきました。2023年7月から、ベトナムの開発業務にコミットする形で「スクラムマスター」という役割も担当しました。スクラムマスターは、日本とベトナムの各チームが連携してシステム開発をする際に生じるマイナス要因を解決する責任をもちます。カスタマーサクセスとのコミュニケーションの円滑化や、作業の振り返りなどの支援が主な仕事ですね。
そして、執行役員の副島啓一から「ベトナムで働いてみない?」と声をかけられたことをきっかけに、2025年1月からFaber Vietnamで勤務するようになりました。
※Faber Vietnamにて撮影
ベトナムチームで働くモチベーションは何ですか?
いろいろありますが、まずはベトナムの開発をより効率化したい、進化させたいという想いがあります。プログラミングなどの開発業務に必要な技術資料のうち、ベトナム語に翻訳されているものは少なく、最新技術がなかなか入ってこないという現実があります。その中で、ベトナムチームの皆が学べる環境をどう用意するか考えるのは、やりがいがあります。
また、会社のビジョンやミッションをベトナムに浸透させるというのも、モチベーションの一つになっています。弊社は「マーケティングゼロ」の世界を目指しています。しかし、そもそもマーケティングとは何か、マーケティングゼロとは何かをベトナム語や英語で伝えるのは難しいです。こうした概念をどう伝えるか、現地の支社長とよく魂の議論を交わしています(笑)。学生時代に会社を立ち上げた時、「若手技術者が幸せに楽しく生きるにはどうすればいいだろう」という問いが自分の中にありました。Faber Companyに入社してからも、「エンジニアたちが毎日楽しく働くには何が必要だろうか」を考え続けています。足りないものが見つかれば、それが技術の問題であれコミュニケーションの問題であれ解決するために全力を尽くす。副島の一言から始まったベトナムでの生活ですが、現地チームを知る過程で次々と課題を見つけ、それを自分で考え解決していくプロセスは、非常に楽しいです。
「あそび」を存分に楽しみ実験できる場所
Faber Companyで働くことの面白さはどんなところにありますか?
自分の道を自分で切り開けることです。
私が大切にしている言葉に「あそび」があります。エンジニア、機械工学の分野における部品をスムーズに動かすための「隙間」のことです。「あそび」があるからこそネジをしっかり締められるし、潤滑油が隙間に入ることで機械がスムーズに動くようになる。インターン時代、与えられたタスク以外に取り組みたいと手を挙げた時、Faber Companyはその声を無視せず挑戦を後押ししてくれました。
業務の隙間を見つけて、自分や会社の成長のために行動できる人。
人と人の隙間や人とシステムの隙間に目を向けて課題を抽出できる人。
「あそび」を設計してコミュニケーションや業務をスムーズにする人。
そんな人と一緒に働きたいです。
そんな「あそび」を活かして、今後菅原さんはどんなキャリアを歩みたいですか?
私は長年、「技術者でいるのか経営者でいるのか」という問いと向き合い続けています。将来的には、故郷である広島に帰って育ててくれた恩返しをしたい。そのために、組織の作り方や製品の作り方を日々学び実験しています。どちらの道に進むのであれ、技術者が幸せに楽しく生きていける社会を作るために邁進したいです。そこで「菅原と一緒に働きたい」と言っていただけるようになることが、今の目標です。
※写真はすべてWeWork神谷町トラストタワーにて撮影